COLUMN

2024.7.1 DESIGNER

ミラノサローネの変化

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.157
ミラノデザインウィークレポートを先日開催しましたが、Webセミナーでの参加者の記録を更新して1500名以上のお客様に参加いただき、終了後に電話や途中退席で見れなかったのでアーカイブはありませんか?再公演はないの?のお問い合わせを多くいただき、再開催をする事になりました。その再開催も600名を越えるお客様に申し込みをいただき、反響の大きさに驚いています。他社など多くの会社がレポートを始めたのでミラノレポートを引退し、当社でないとできないレポートをしていたのですが、今年の参加者の多さを見ると、個人的には複雑な気持ちになります。当社は輸入メーカーでもミラノサローネでの出展も無くPRにはならないのにと、、。

何人かミラノレポートへ参加したお客様にお聞きすると、輸入メーカーは自社PRがメインで、素材メーカーは表面的な印象の話しなので理由が分からない事と、何よりクライアントからミラノデザインウィークの事を聞かれる事が多く、情報を獲る事は必須になってきているので、瀬戸さんの話は聞きたいのではないでしょうか。また、雑誌で紹介されていないブランドも多く紹介されるので、分かりやすいのです。と聞きました。私自身、プレスとして25年以上前から取材を行い、雑誌に紹介されていない主要ブランドを紹介してきました。ミラノ特集する雑誌では日本で販売され広告を取れるブランドしか紹介していませんでした。しかし、実際にミラノへ行くと知らない上位ブランドが多く存在し、そのブランドが注目を集めている事も知りました。

取材を進めるとデザイナーが勝手にコンセプトやデザインを出す事は無く、各社の経営者やクリエイティブディレクターがその年のテーマを決めてデザイナーに発注するのですが、そのテーマは売り先が必ずあり、その販売国の好みやターゲット層によって変化している事が分かってきました。中東、ロシアや新興国、中国や東南アジアなど販売が好調な売り先によってデザインや色、ファブリックなどが使い分けられます。商売人のイタリア人らしいターゲットをはっきりさせた製品作りです。ファッションのスーパーブランドでも同様で、販売が好調な国へのデザインをする事が売上を持続させ伸ばす事にもつながります。

残念ながら、日本はそのターゲットからは外れている事も知り、有名ベッドブランドでは日本の家具会社に出していたけど、真似され終わってしまうからあまり販売したくないとの事も聞きました。その事を知り、ミラノでは各ブランドの営業責任者やディレクターからそのターゲットを聞くようになりました。毎年定点観測として同じ上位ブランドを回り、その際に昨年は〇〇への販売が好調と聞いたけど、その後はどうなんですか?と聞くと、分かってる人だと思われ、本当の話を聞く事ができるようになりました。そうやってレポートを続け最大で全国30箇所へPCとプロジェクターを持参してレポート周りをしていました。それが、再評価されたようで、少し嬉しく思っています。

ミラノサローネ(見本市会場での展示会)を40年近く見ていて感じた変化は、この20年で変わったのは製品の見せ方で、単品で製品だけを見せる展示から、インテリアをスタイルとして見せる方法です。単品で見せる方法はシンプルな空間に作品的に置かれデザイナー色を強めた見せ方でしたが、スタイルとして見せる方法はインテリアを作り上げた空間で単品ではなく、空間バランスを重要視した見せ方です。インテリアに使われる製品は単品の物だけの使い方ではありません。上位のブランドは私達は製品を販売しているのではなく、スタイルを売っているのです。というブランドが増えていきました。ブランドの売上が伸びてきた事もあり、今のミラノサローネ見本市会場での展示はインテリアのしつらえをしたスタイル展示がメインになり、多くの集客しているブースはスタイル展示でになって、旧来の製品だけを見せているブースは閑散としていました。

私自身デザイナーとして仕事をしてきましたが、いつの頃からか肩書きがクリエィティブディレクターになりました。家具はデザインしていますが、単品としての物でなく、インテリア空間に調和するスタイルを大切にしています。アメリカでの建築巡りをしていると家具はプロダクトとして存在しているのではなく、空間の中に存在していることを認識されられ、市場に出て初めてトレンドになる事を再認識させられます。再開催のミラノレポートは本編に当社のPRは全くありません。最後の営業PRを最後までお聞き下さいませ。(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

2005年のミラノサローネ会場の写真。この頃から少しずつインテリアスタイルの見せ方が増えてきて、それをしていた会社は今も売上を伸ばしています。左上:Morteni&Cの展示は部屋のインテリアを少し作っていました。右上:Minottiブース。まだまだシンプルな展示のMinottiで、デコレーションもあまりされていません。左下:Poliformブース。ガラスで仕切りシンプルな展示。右下:LEMAブース。今のようなデコレーションはまだまだされていません。これらのブランドがインテリアシーン展示として見せるようになっていましたが、まだ製品中心の展示です。
2024年のミラノサローネ会場の写真。どのブランドもインテリアシーンを作り込み、デコレーションにも力が入っています。製品を見せるというより、トータルシーンでの展示です。左上:Morteni&Cブース。右上:Minottiブース。左下:Poliformブース。右下:LEMAブース。なんとなく同じような色合いや素材使いは似ていて個性は無いように感じますが、、。

2024.5.30 DESIGNER

適正価格をロサンゼルスで考える

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.156
ミラノから帰った翌週にアメリカ、ロサンゼルスへ行ってきました。敬愛するプロデューサーYASUKOさんの日本帰国が1年伸び夏までになるという事を聞き、最後の建築取材チャンスとして行ってきました。カタログ撮影が始まったのは2008年で、2年に一度の撮影とそのロケハンや毎年開催していた建築ツアーで30回以上ロサンゼルスを訪れていて、住宅では250ヶ所以上を取材してきました。今回は一年ぶりのロスで、いつものようにレンタカーを借りて、住宅だけでなく、話題のホテルや高級スーパーマーケットも見てきました。

今回、アメリカでの物価上昇は驚きました。特に驚いたのは、ウエストハリウッドでのホテル駐車代が昨年の$55から$65になり、TDMという宿泊税はヨーロッパでも徴収されるので納得できますが、市職員を守る税/City Warker Protection$10やアーバンアメニティ料$35などというホテル代に入っているのでは?という料金が別になり毎日徴収、それぞれ課税され、ホテル予約サイトで予約した金額以外が30%以上現地で取られるようになった事です。毎日清掃してくれない部屋のホテル代も上昇し、レンタカー代やガソリン代の上昇も少し驚きます。現地での飲食などの滞在費は昨年も上昇していたので、覚悟はしていましたが、それを上回りました。アメリカでは必須のレンタカーに必要なガソリンのレギュラーがウエストハリウッドでは$6.5でロス市内の多くは$5.5でした。1ガロンは3.78リッターなので、1リッターで1.45ドル(約230円)と日本よりかなり高く、円安でも日本よりかなり高い金額です。

レストランチップはヨーロッパではそんなに気にしなくても良かったのですが、ロスでは驚く上昇して、高くても18%だったのが、今は通常20%で高級店では25%になっていました。もっと驚いたのが、サービスを受けないテイクアウトの店でも支払いの画面にチップが15%、18%、20%と選ぶ所があり何のチップ?と思いましたが、支払う本人を前にしてノーチップのボタンを押すのに躊躇しました。それがレストランでは請求明細の下に18%=$⚪︎、20%=$⚪︎、25%=$⚪︎とそれよりも高く明記してあり、税金と合わせると30%以上プラスされた金額になってしまいます。現地の方に聞くと、レストランチップ%が上がっているけど、持ち帰りの支払いでの画面にチップが表示されるようになり、みんな驚いていていて、笑顔だけもお金取られるようになってしまったと、、。物価が2倍になったが、所得も2倍なので、生活は変わった印象は無いが、所得上昇が低い移民や低所得者は困窮しているとも聞きました。

ロスでは話題になっているセレブ御用達の高級スーパーのErewhon/エレウォンへ行ってきました。ロスといえばオーガニック系スーパーマケットが人気で、一番安いのがプライベートブランドを多く販売しているTrader Joe’s/トレーダー・ジョーズで、エコバッグが人気で日本でも持って歩いている人を見かけます。その上には大店舗展開するWhole Foods/ホールフーズがあります。価格的には物によりますが、同じ石鹸や水ではトレーダー・ジョーズが1とするとホールフーズが2倍、エレウォンは3倍〜5倍という感じの値付けです。日本では同じ品物ではメーカーが決めた希望小売価格が上限で安いスーパーでも半額にはなっていません。海外では値決めは販売店が決めるので、同じ物でも価格もまったく違う事が普通ですが、エレウォンは別格で、そこまでの差は見た事がありません。

エレウォンはロサンゼルスに本社があり、8店舗展開する高級スーパーマーケットで、1966年に日本人の久司道夫とアメリカ人の2人がボストンで設立しました。久司道夫はマクロビオティックの先駆者で発展普及にも努めた方で、ボストンの1店舗だけの店でしたが、2011年にトニー・アントッチが買収して健康食品に特化した店舗をロサンゼルスを中心に展開をしています。フェアファックス、シルバーレイクやカルバー・シティなど若いお金持ちが住む街にあり、店の大きさはトレーダー・ジョーズ位の店ですが、狭い通路に商品がぎっしり整頓されて置かれていました。訪問した店はカルバー・シティのアマゾンスタジオ近くに2022年出店した店です。カルバー・シティはロサンゼルス空港やベニスビーチにも近く、アマゾンやグーグルやアップル社のロス本社があるエリアで、若いIT長者があつまる場所です。

エレウォンはヘイリー・ビーバー(ジャスティン・ビーバーの妻)などとコラボが有名で、ヘイリーレシピのスムージーなど人気です。また、昨年前のロスでのバレンシアガのファッションショーでエレウォンのペーパーバッグやドリンクを持って歩かせるなど、セレブやインフルエンサーなどへのPRも力を入れており、その人たちに憧れる若者に人気になっています。ちょうど昼頃という事もあり、エレウォンが入る建物の周りの外でエレウォンのロゴが入ったドリンクでランチする若者が多くいました。中に入ると、商品が生き生きとして見えます。照明の当て方と彩りが良いのでしょう。野菜売り場で取るのをためらう位きっちり整理と彩を考えた陳列で、エレウォンマークの入ったドリンクやナッツ類など隙間無く置かれています。一番驚いたのは、置かれた商品のマークや名前が前を向いて整理されていて、日本のスーパーでも見ない置き方です。商品の置き方を感心しながら、値札を見ると16オンス/450ccのジュースが11〜15ドル(2,000円〜)450ccの水$2.99(520円)56g入トルティーアチップス$7.99(1,400円)ランチサラダ20ドル(3,500円)12個入りトイレットパーパー$17.99(3,200円)と手が出る物がありません。

エレウォンオリジナルの瓶入りのジュースは上記の金額に瓶代$3(500円)の保証金が必要で返却すると返金されます。なので、ドリンクやナッツ類は購入時に保証金がかかります。(年間$200支払うエレウォン会員になると10%割引になる)最初に書いたヘイリーがコラボ開発したストロベリー・グレイズ・スキン・スムージーは20オンス/562cc$19(3,300円税込)です、、。外で食べている若者のランチは6,000円以上はしているのでしょう。中を見ながら歩いていると、何かお手伝いしましょうか?お困りの事はありませんか?と銀座のデパ地下にも無いようなスマートな接客です。ここまでするからこの値段なのかと少し納得です。でも、コットンのエコバッグが$50(8,700円)で少し良いエコバッグが$135(23,500円)とはエコバッグではないよな、、と思いながらスムージーコーナーを見ると、意識高い系に見える若い人が並んでいました。

金額を見ると買う気にならなかった自分の経済感覚では、エレウォンの良さと売れている理由が見つからなかったので、YASUKOさんの友人でゴールデングローブ賞の審査員をしているYUKIさんにエレウォンの事を聞くと、エレウォンのマークが付いたドリンクを持つ事がカッコ良く思い、自分はこれを買えるだけの収入があるんだとファッション感覚で見せたい人で、$20のドリンクを高いと思わない意識高い系の人が買うんでしょうね。セレブの中にはエレウォンに行った?値段見た?、誰々の親が子供にエレウォンカードをプレゼントしたんだってと、笑い話になる位だからセレブでも経済感覚のある人は行かないし、私は同じ品質の物が1/3以下で買えるトレーダー・ジョーズに行くわ、、と。綺麗な陳列の事を聞くと、たしかに綺麗だわ、でも、あれだけのお金を取るのだから当たり前よね。と手厳しいい答えでした。ディーン&デルーカやスタバが日本に入ってきた時に、バッグやマグカップを持った若者が多かった事を思い出しました。今回、行ったスーパーではトレーダー・ジョーズが高年齢層が多く、ホールフーズでは中年齢層、エレウォンは若年層と来客層が違う事は感じ取れました。適正価格をお客様層によって変えるのがアメリカです。

今回、取材に回った住宅は業者向けのオープンハウスで30億から50億の金額が付いていました。こんな家で生活する人にとってはエレウォンで買うスムージーなど金額は関係ないんだろうなと、思いながら取材を続けました。円安もありますが、ベルエアやビバリーヒルズの邸宅街を車を走らせながら、アメリカの富裕層人口は世界一なんだなと思いました。庶民の私にとっては、In-N-Out Burger /イン・アンド・アウト・バーガーのチーズセットが値上がりして$8.55(1,500円税込)なっていても、この品質でこの金額ならOKだなと勝手に納得、、。でも、日本がんばれ!と心の中では叫んでいました。来週はミラノレポートが開催されますが、8月には今回のロスの取材をお伝えします。お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

左上:カルバー・シティのエレウォンの入口。シンプルなロゴがあるだけで、スーパーマーケットらしい商品は置かれません。右上:レジカウンター。スーパーによくある一列ずつのレジでなく、オーク材の腰壁が取り囲みカフェカウンターのように作られています。左下:エレウォンではフードコーナーが充実していて、オーガニックのサラダやスムージーが提供されます。中に働いている人が本当に多い。右下:野菜コーナーもぎっしり整理して置かれ、取るのに躊躇するくらいです。
左上:オーガニック系のジュース類の多くの種類はエレウォンブランドではありませんが、全てのブランドのロゴが同じ方向を向いているのは驚きました。また、すぐに補充されるので、隙間がありません。右上:野菜コーナーはぎっしりですが、棚下の照明の当て方が上手で新鮮に見えます。左下:瓶に入るエレウォンオリジナルの瓶詰めのスープ類。整然と綺麗に並んでいます。右下:オリジナルの瓶に入るジュースとナッツ。ビン類は1個3ドルの保証金が別にかかります。右のハードコアグリーンジュース450ccは$11でそれに瓶デポジット$3と税金がかかり$15,4(2,433円)になります。ナッツは337グラムの中瓶で$14+$3+税=$18.7(2,954円)です。オリジナルだと通常大手メーカーより安くなりますが、逆に倍近くの金額です。

2024.4.30 DESIGNER

ミラノサローネの楽しみ

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.155
今年もミラノサローネとデザインウィークへ行ってきました。昨年からスタッフ研修も再開しミラノを歩いてきました。今年のフィエラ会場の家具見本市とキッチン見本市は会場のレイアウトが初めて正反対になり、人気ブランドが集まる館が一番奥になり、手前が人気の無い館とキッチン館になったので、長い通路を歩く人並みが長く、奥まで歩くと1.5キロと距離も長く大変でした。一番奥の館に行くためには外周を回るバスに乗れば楽なのですが、知られていなくてガラガラでした。このフィエラ会場で開催されてからずっと同じレイアウトだったのを反対にしたのは、会場の奥にはあまり人が行かず閑散としていた事から、不公平感を無くすためという事でした。建物館内のレイアウトは見本市会場に顔が効くブランドが中心手前だったのは変わらなかったのですが、、。

フィエラ会場で昨年から始まったブースでの事前登録制、顧客のみの入館と入場制限が多くなり、事前登録していても会場をスタッフが案内する方式が多くなり、待たされ入り口で登録作業をするために、以前の3倍くらい時間のかかる視察です。高価なチケット(3回で50ユーロ)なのに、顧客しか入れないブランドがあるのには、やはり違和感しかありません。どのブランドも名刺による手入力を省くために、登録用のQRコードから登録させる方法は効率化で仕方がない事ですが、親切なブランドではフィエラ会場の入場券を購入時のインフォメーションを利用して、それを読み込んでいました。入場を制限していて、かなり時間を並んで入れたブースでも上顧客用のエリアがあり、半分しか見られない所も少なくありません。ますます、差別化が進んでいるサローネです。日本でも航空会社の優先搭乗やラウンジなど顧客の差別化が普通になってきましたが、世界ではもっと進んでいるようです。実際、購入する事が無い私達には優先される理由もありませんが、、。市内で開催されるデザインウィークでも登録制になっている所が多く、長い列の最後にQRコードを掲げていて、それからスマホでの登録が始まるので、よけいに時間がかかってしまい長蛇の列です。その列を見て入場を諦めた所もかなりありました。ミラノ市内がディズニーランドになったようです。高額になったホテル宿泊料のせいで、長期滞在が難しくなった中、行くべきブランドを前もって定めるのも、視察旅行の重要な準備になりました。

いつもこの時期のミラノで楽しみにしているのが、車と各ブランドのインテリアシーンの作りです。車はミラノ中心に停まる車と色を見るとヨーロッパの旬な自動車の傾向を見る事ができる事と、主要メーカーがこの時期にイベントを行っているからです。今年のミラノ中心街では目新しい自動車の傾向を見る事はあまり無く、自動車メーカーのイベントもあまり興味深い物がありませんでした。電気自動車への移行が停滞している事と戦争による景気の停滞が原因のようです。一方、楽しみにしているインテリアシーンでカラーもそうですが、使用される花や植物です。植物は観葉植物というより植木のような巨大な植物です。緑の少ないミラノだからか、綺麗に手入れされた植物を置いたイベントを見ると、より良く見えています。フィエラ会場では短期間での展示会なのに、ブース内に生き生きした巨大な植物に驚き、運搬をどうしたんだろうといつも思います。朝のオープン直後に目指す館に入ると、大きなジョウロを持った植木職人さんや花屋さんが沢山出てきました。毎朝、手入れをしているから、あのような巨大な植物や花が生き生きと管理できているのかと感心しました。

今年のミラノの植物はいつも以上に巨大な植物が置かれたブースも多く、観葉植物というより街路樹というほどです。中でも花が盛りの街路樹をどうやって花を落とさずに持ち込んだのかも不思議です。自然光が入らないブース内では植物用の波長を持つLEDライトを当てられたりと、普通の人には気が付かない工夫もされていました。観葉植物として置かれた物で、今年気になったのはクワズイモやモンテスラやゴムの木など、70年から80年代に流行った濃い色の葉の大きな南洋植物です。ぽってりしたボリューム感のあるソファに合うように巨大な葉のモンテスラが雰囲気を出していました。昨年行ったロサンゼルスの新しいホテルでもモンテスラやゴムが使われていましたが、インテリアは家具や照明だけでなく、植物も重要なインテリアアイテムで、その時代に合わせたイメージで組み合わされます。一時廃れていたゴムの木やトラノオやモンテスラ、ベンジャミンなど、観葉植物が流通し始めた頃の植物が見直されてきたのは、1970年代をイメージしたインテリアが昨年から来ているせいなのでしょう。日本で言えば昭和のノスタルジックな印象でしょうか。あと、今まで見た事の無い植物はススキのような稲のような枯れ草が多く植えられていました。何の意味なのかは分かりません、、。

インテリアは空間だけでも家具だけでも成り立ちません。アート、小物、照明、そして植物もトータルで合わせてスタイルになります。上位のブランドだけが作る空気感を感じる事がミラノサローネ時期の楽しみでもあります。昨年から復活したミラノレポートを今回も開催予定をしています。今年のカラーやデコレーションや植物の組み合わせをレポートしたいと思います。お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

左上:ベッドブランドFULUのブースでかなり高い樹木が植えられていて、ピンクの花が咲いていました。枝を折らずにどうやって運搬したのか本当に不思議です。右上:Poriformのブースでガーデンをイメージしてナチュラル樹木に見えるトネリコが置かれる。左下:市内の水栓ブランドのGESSIのショールーム:地下の展示場で、壁の植物には植物用のLEDが当てられています。右下:audiの展示イベントで車の周りに置かれた植木。植栽と思ったら石畳の上に置かれた植物ポッドでした。
左上:収納ブランドLEMAのブース。部屋を仕切るように、巨大なクワズイモやモンテスラが大きな木の樽の鉢に植えられ置かれる。右上:今回、いろいろな場所で見られた枯れ草に見えるススキ。半分枯れた植物はノスタルジックに見えるのか、、。左下:Minottiブース内に置かれたモンステラ・デリシオーサ。大きな葉が広がります。右下:復刻されたスパルパのソファにはモンテスラが似合います。

2024.3.29 DESIGNER

カリフォルニアスタイルの先駆者

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.154
2009年からスタートしたA-modeは、アメリカ西海岸建築にインスパイアされたカリフォルニアスタイルのブランドです。アメリカ西海岸のモダン建築のカリフォルニアスタイルは、フランク・ロイド・ライトの元で働いたルドルフ・シンドラーなど、1920年代、帝国ホテルの仕事で来日した際に日本建築に影響を受けたスタッフが、アメリカ西海岸で花開かせたモダン建築です。ライトの元で働いたアメリカモダン建築の巨匠リチャード・ジョセフ・ノイトラもその1人で、室内と庭の融合させるスタイルと日本式引き戸を建築に取り入れ新しいモダン建築を生み出しました。ロサンゼルスのシルバーレイクのほとりにあるノイトラ事務所でUCLAの教授から、アメリカモダン建築カルフォルニアスタイルの源流は日本だと聞いてから、西海岸のモダン建築を見る目が変わりました。

1950年から起こったモダンデザインブームで、多くのカリフォルニアスタイルの建築が生まれました。また、復員兵が生活に戻るために多くの住宅が必要になり、多くの建築家も必要とされました。その中に第二次世界大戦で従軍し日本建築に影響を受けた建築家が多くいます。その1人がドナルド・ウェクスラーで、パームスプリングスに多くの建築を残しました。ウェクスラーはパームスプリングスに空港や銀行などの公共建築を手がけ、俳優など有名人の別荘の設計も行いました。1964年に設計した往年の歌手ダイナ・ショアの邸宅を2016年に俳優のレオナルド・ディカプリオが523万ドルで購入した事でウェクスラー建築が再認識される事になりました。ウェクスラーは1926年にサウスダコタ州で生まれ、第二次世界大戦で海軍に従軍し日本にも滞在し、戦後アメリカに帰国し1950年ミネソタ大学を卒業、その後、建築家リチャード・ノイトラ事務所に入所、その後インテリアデザイナーのウィリアム・コーディ事務所で働き、パームスプリングスで設計事務所を設立しました。

ドナルド・ウェクスラーの設計した住宅はパームスプリングスに7軒現存していて歴史的建造物の史跡に指定されています。西海岸撮影でお世話になっているYASUKOさんの別荘は1955年に建てられ彼の初期の作品として大切に使われてきました。30年前にその家を購入する際にウェクスラー氏と会い、彼の建築に対する姿勢に感銘を受け、家のオリジナルの状態を守る事と家を大切にする事を約束したそうです。その後、ヴィンテージで有名なパームスプリングスのインテリアショップで1950年代の家具や照明、小物を揃え、内装もその時代のオリジナルの素材でレストアを進めました。トイレとバスルームの壁紙も1950年代のビバリーヒルズホテルと同じ物で改装するなど、時間をかけて改装をされました。家の前の手入れされた石庭からZEN HOUSEとしてパームスプリングスでも有名になり、ある日Yasukoさんが別荘に滞在している時、マーサ・スチュワートが通りかかり、玄関の呼び鈴を押して「この家を100万ドル出すから売ってくれないかしら」と言われた時には驚いたそうですが、その時は売らないと断ったそうです。

日本に完全帰国するために、30年前に$225,000(3,000万円)で購入した家を先日、$1250,000(1億9,000万円)で売却しましたが、販売を任せた不動産会社では1955年当時に取り上げられたロサンゼルスタイムスが発行していた雑誌HOMEのコピーを付けたリーフレットを作成してオープンルームをしましたが、2週間で販売したそうです。デジタル媒体が進んだアメリカですが、印刷物が高価になった今、紙のリーフレットは不動産を販売するためのツールとして重要になっているそうです。家の販売でもっとも重要なのがインテリアで、何も無い空間でなく、家具や照明、アートなどデコレーションをした方が高く販売できる事で、家具付で販売しなくても、インテリアデコレーションをして見せる事が重要です。YASUKOさんのパームスプリングスの家は室内家具だけでなく、プールチェアもヴィンテージ物で、照明やデコレーションも付けて販売した事ですぐに販売価格で売れたそうです。

家の価値を上げるのは場所だけでなく、所有者など家の歴史や建築家の名前、映画やテレビやCMなど使われた事も価値につながります。今まで取材した住宅では建築誌やCMで使用された雑誌などもテーブルに飾っていてました。インテリア関係も重要で当社のカタログ撮影で使用したいとのオファーでもカタログを見せるとすぐにOKが出ました。アメリカでは物の価値を上げて、価値ある価格で販売するビジネスが多くあります。インテリア用品はその中でも歴史のあるビジネスです。当社の家具も40年近く販売しているので、ヴィンテージと言われるくらい古い物も出てきました。長く使っていただいて価値が上がるような家具をデザインしないといけません。(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

左上:1955年に建てられたZEN HOUSE。道路前の庭は石庭で禅のイメージです。右上:オリジナルのキッチンとバスルーム。キッチンはホーロー製のレンジが置かれ、壁の換気扇がミッドセンチュリーです。バスルームも雑誌の写真のままで、日本の温泉に影響を受けたバスタブが床に掘られています。左下:オープンルームで配布するためのリーフレットで、家の歴史なども書かれています。右下:1955年の雑誌HOMEのコピーも付けています。砂漠の中の東洋住宅として紹介されています。室内やプール側の壁には書がかけられています。インテリアは今の方が素敵です。
左上:Donald Wexler/ドナルド・ウェクスラー。第二次世界大戦で従軍し日本に滞在、帰国し大学卒業後に建築家リチャード・ノイトラ事務所で働きました。拠点となったパームスプリングスはアメリカ有数の別荘地で有名人達の別荘を多く手がけました。左下:ウェクスラーが初期に手がけたのは、ピエールコーニッグが手がけたケーススタディハウスように鉄骨を使用した実験的な建築でした。右:1964年に設計した往年の歌手ダイナ・ショアの邸宅。2016年に俳優のレオナルド・ディカプリオが523万ドルで購入しました。

2024.2.28 DESIGNER

祈りを守る優しいモダン建築

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.153
沖縄に行く機会があり、以前から行ってみたかった建築を見に行きました。その建築とはNHKの新日本風土記「沖縄の家」で紹介された教会で、与那原町にあるカトリック与那原教会(聖クララ教会)です。放送ではシスターの家「花ブロック」としてコンクリートブロックとステンドガラスのモダン建築、その場所を祈りの場所として生活しながら使うシスターと、その建築を守り、さまざまなシスターたちの困りごとに対応している1人の男性を紹介していました。セミナーがWebになり沖縄へも行く機会が無くなり、なかなか行く事ができませんでしたが、沖縄に行く事になり最初に訪問しました。

放送では、ステンドガラスからの柔らかな光が入る礼拝堂はアメリカ西海岸建築のようなモダン建築で、その建物を大切にし花を育てながら住まうシスターの質素な生活と、その雑務や作業を行う男性との繋がりを見る事ができました。その男性は補修の時に出た扉のツマミやネジ一本も捨てずに全て保管し、費用をかけずに修理をしていました。ホームセンターが身近にある今でも古い部品を保管してそれを使う姿は、質素な生活をしながら祈りの場所を守る事からですが、今のアメリカ西海岸で多く見られる建築当初のオリジナルを守るリノベーションで、建築に価値を与える手法にもなっています。その建築を肌で感じたいと沖縄いに行く機会を待っていました。空港からホテルに着いて荷物を置いてすぐに与那原町へ向かいました。

沖縄でも肌寒い2月で、雨が落ちそうな空で夕刻が近づく遅い時間だったので、中に入れるか心配になりながら、建物下の幼稚園に車を置いて階段を見上げるとモダンな建物が見えてきました。静かな敷地で誰もいません。急足で階段を上がって教会の玄関へ曲がると、老シスターが花を見ながらこちらへゆっくり歩いて来られていました。敷地に勝手に入ったお詫びを言い「教会を見に来ました。中を見せていただく事をお許しいただけませんか?」と話しかけると、シスターは「花が綺麗でしょう。その花を見に歩かせ、あなたにお会いできたのも神様のおかげですね」と笑顔で教会内に向かいました。なんて素敵な言葉なんだろうと温かい気持ちになりシスターの後に続きました。簡素な玄関を入り中庭を抜け礼拝堂に案内いただいたシスターは「自由にご覧下さい。よければ神様にお祈りをしてお帰り下さい」と去って行かれました。中には礼拝されているシスターが1人いらっしゃいましたが、ふと見ると居なくなっていました。突然の見ず知らずの訪問者をその祈りの場所に入れて下さり、自由にさせていただく優しさを感じました。

建物は高低差のあるバリアフリーの回廊の中に庭があり、そこから礼拝堂の中に入ると、片側全面の色ガラスから柔らかな光が礼拝堂のベンチを包んでいました。曇りの夕刻でもこの光なので、晴れた日は光の中にいるような空間になると感じます。この建物は1947年にバチカンの要請でグアム島から宣教のため沖縄にやってきたアメリカ出身のフェリックス・レイ神父の主導により建てられたました。建物の完成は1958年で、設計を担当したのは在日米軍建設部所属の日系人建築家・片山献と、シカゴに本拠地を置く建築設計事務所SOMです。1958年は第二次世界大戦で壊滅的になった沖縄では街の復興はまだまだの時期で、丘の上に建てられたモダン建築から見えるステンドガラスは復興のシンボルになりました。風が内部空間に良く通るように穴の空いたコンクリートブロックと沢山のガラス扉が開けられるようになっていて、冷房設備の無い時代の工夫が多く見られ、それがモダンデザインになっています。

祭壇の脇に部屋があるので、司祭の部屋かなと思ったのですが、病気のシスターや信者が寝たままミサに出られるような病室で、バリアフリーの回廊といい1958年から優しい建築だった事が分かります。スロープになっている大きな屋根は水不足だった沖縄のため、水を集める機能があり、その水を地下に貯めてこの地域を幾度も襲った干ばつに役立ったそうです。地下には洗濯室があり、その貯水量を測るための計りもあるそうです。この教会が表面的デザインだけでなく、機能からこの建築デザインもある事を知りました。窓枠などは新しく作り直されていますが、色ガラスや天井板や扉のノブなどはオリジナルの物が使われて時代を経た落ち着いた空間が保たれています。優しい光の礼拝堂にいるとマティスが手がけたロザリオ礼拝堂は行った事がありませんが、きっとこのような気持ちになれるような気がしました。

この修道院には20名越えるシスターが暮らし日々の奉仕と祈りの信仰生活を送っています。建物から出ると夕方のミサの時間なのか、シスターが集まって来られました。老シスターにお礼を言って聖クララ教会を後にし、落ち着いた気持ちの自分になっていて、荘厳で豪華な教会よりも信仰心が強くなれる気がしました。家具も豪華さではなく人に寄り添う機能美が大切で素敵に思います。聖クララ教会に行かれる方は礼拝の場所ですのでシスターにお声がけしてくださいね。2025年モデルの企画がそろそろ始まります。お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

1958年完成のカトリック与那原教会(聖クララ教会)。左上:与那原の町から丘に見える教会です。とんがり屋根の教会ではなくモダン建築建築です。右上:建物の玄関側から見ると中庭の向こうに礼拝堂の屋根があるので平屋の建物にしか見えません。左下:礼拝堂の祭壇の後は南側に面していて二重構造でコンクリートブロックのスリットから風が入り建物内に風を通して涼しくする工夫があります。十字架がなければ教会に見えません。右下:西側の壁はガラスになっていて色ガラスがモダンな色彩構成のようになっています。
左上:玄関を入ると回廊がありコンクリートの花ブロックが風を通します。廊下はスロープでバリアフリーになっています。1958年にバリアフリーの考えがあった事に驚きます。右上:回廊から中庭を通して礼拝堂を見ます。中庭には上下開けられる窓があり風を通します。左下:祭壇の右側が西側の窓で傾斜した天井が祭壇上のスリットに熱気を逃します。右側の部屋は病気の方が寝ながらミサに参加できる部屋があります。右下:西側のガラスはステンドガラスに見えますが、色ガラスを枠に納めて色構成させステンドガラスに見せています。