COLUMN

2025.12.26 DESIGNER

ロサンゼルス巨匠建築の思い出

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.175
2025年も終わろうとしています。皆さまどんな一年だったでしょうか?当社にとって今年は設立から40年の節目で、2026年7月から41年目がスタートします。1985年設立から嵐のような毎年でしたが、仕事や人生観を変えるような仕事が何回かありました。その中でもカタログや雑誌広告用の撮影で、スタジオ撮影に立ち会ったことです。1980年代は紙媒体の広告が重要で、広告デザインと合わせ製品写真のクオリティが製品の売れ行きを決める時代でした。若い頃からスタジオ撮影に立ち会って、製品の見る角度や見せ方の重要性を知りました。それはプロダクトのレンダリング(スケッチ)で、かっこよく見せるフォルムバランスの勉強になりました。その後の撮影ではライティングから光で作る陰影で出す立体感、セット写真でのレイアウトのバランスなど、デザインの仕事に役立つことばかりで、毎回、本当に勉強になりました。

2007年から始まったアメリカ西海岸での撮影は毎回、冒険のようで、私自身のデザインにもっとも影響を与えました。アメリカでの撮影を始めるときに幸運だったのが、ロス在住の撮影プロデューサーの靖子さんとの出会いで、ファッションデザイナーや建築家、デコレーターやアートのことにも精通した靖子さんが選んだ家を、ロケハンしたり撮影に使用することができたからです。当社が長く続けていたお客様と行ったアメリカ西海岸建築ツアーも同様で、一般公開されている見せる施設でなく、人が住まういきた住宅や、実際に働くオフィスや使われている建築を見ることで、本当のいきたインテリア空間を感じることができたのが、今の私自身、仕事の基本になっています。まだiPhoneも出ていないGoogleマップもない時だったので、地図片手にレンタカーを運転し、40フィートコンテナに満載した荷物をフォークリフトで荷下ろし、仕分けからトラック積み込み、撮影機材の借り出しして、撮影場所ではオーナーが住んでいる住宅から家具を搬出して、当社の製品を搬入撮影し、終われば元どおりにしてクリーニングする作業は日本でも経験できないことでした。

先日、アメリカの建築家フランク・ゲーリーがお亡くなりになりました。ロサンゼルスのダウンタウンにある、ゲーリーの代表作であるウォルト・ディズニー・コンサートホールの撮影を思い出しました。ステンレス板のバラの花びらが開いたような建物で、近くで見るだけで胸が高鳴るような気持ちになり、内部に入るとダグラスファーの巨木をイメージした内装で、ゲーリー建築に触れながら、ここで撮影できればと思ってしまいました。アウディなどの車メーカーや有名企業が外観で撮影に使っていたことは知っていましたが、大規模な建築を借りての撮影は機材や搬入など人員も大変で、何よりロスを代表するような有名公共建築を当社のような小さな会社が借りることができるのかがいちばん心配でした。しかし、さすが靖子さん、撮影許可はすぐに下りました。それも全館で撮影可能になり、中のメインコンサートホールでの撮影も可能になったのは驚きました。撮影は搬入経路が長くセキュリティが大変で、メインホールではフィルハーモニーのリハーサル中で、その合間をぬっての撮影でした。

1987年にスタートしたウォルト・ディズニー・コンサートホールのプロジェクトは、当初石造りで計画されましたが安価なステンレス鋼に変更されました。それが、逆に特徴的な存在感を出す建築になりました。裏庭には多額の寄付したディズニーの奥さまリリアンの好きだったデルフト陶器の破片で作られたばらの噴水があります。うねるステンレスの板は最初は鏡面でしたが、近隣の集合住宅から反射熱のクレームがあり、バイブレーション加工し艶消しにされました。内部の通路にはその鏡面の名残が残っています。内部での撮影でメインホールでの撮影も許可されましたが、リハーサル中で機材撤去など時間に追われました。メインホールのパイプオルガンの前で撮影は初めてというスタッフに感心されながら撮影したことなど、本当に思い出深い場所です。LAにはゲイリー建築はいくつかあります。2022年にオープンしたディズニー・コンサートホール前にあるホテルのコンラッド・ロサンゼルスや、ベニスビーチにある巨大な双眼鏡のあるビルは街のランドマーク的な建築になっています。

LAのゲーリー建築はほとんど行きましたが、建築ツアーで行きたかったゲーリーの自邸に行けなかったことが心残りです。今年の1月末にロサンゼルス近郊での大規模火災でかなりのエリアが消失しました。Googleマップで見ると訪問した住宅は何件かなくなっていました。その中にノイト設計の住宅があり、貴重な建築が失われたのは非常に残念です。1月末に当社がカタログ撮影で使用した住宅の建築セミナーを開催する予定です。2025年も本当にありがとうございました。皆様良い年をお迎えください。(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

左上:手前が2002年開館したウォルト・ディズニー・コンサートホール。向こうに見えるビルは2022年オープンのコンラッドホテル。ゲイリー建築が並んで立っています。右上:ステンレス板がうねる外観で、薔薇の花びらを感じさせます。左下:コンサートホールのエントランスはダグラスファーの柾目突板が使われ空調の穴のある柱が巨大な樹木に見えます。右下:2265人収容のコンサートホール。座席のシートはカリフォルニア州のカラーが使われています。
左:メインホールで撮影のスタッキングチェアのイリス。リハーサル中で椅子など撤去するのに時間を要しました。一番大変だったのはピアノの移動で、元の場所に戻して調律料がかかりました。右上:ステンレスの鏡面板が残る通路で撮影。鏡のような反射は周りに迷惑だったのは分かります。右下:ミニホールでアルコの撮影。自然光が入る場所でした。

2025.11.30 DESIGNER

バイオフィリックデザインとは

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.174
40周年記念パーティーと六本木本社での新作発表会が終わりました。40周年には800名近いお客様にお越しいただき、本当にありがとうございました。懐かしい方や遠方のお客様にお会いできて、大変嬉しく思いました。40年を振り返る初期の図面や、モデルの年表などを見ていただき、「懐かしい」という声や、手書きの図面は微妙な線の太さが変えられ、美しく感じられ、ポスターにして欲しいなど、ありがたいお言葉をいただきました。また、たくさんのお客様のご来場で、展示品に触れることができなかったとのお声をいただきましたが、40周年の図面や模型展示は1月末まで六本木本社で行っていますので、新製品の展示と合わせてお楽しみいただけます。六本木本社ショールームへお越しくださいませ。

2026モデルの新作発表ではエフォートレスなクラシックモダン大人のカジュアルデザインを目指した1980年代を感じていただける製品を発表しました。また、従来製品をより魅力的なバリエーションにするために製品追加を行い、その説明をさせていただきました。バリエーション追加では2023年に発表した有機的な形状のキドニーソファの新しい進化製品を発表しました。そのキドニーソファは現在、当社の販売の中では群を抜いて好調な製品です。以前、コラムの中でニューヨークのビリオネアーズ・ロウのペントハウスで有機的なキドニーソファが部屋の中心を飾る置き方をされていて、バイオフィリックデザインという考え方に基づいているインテリアと紹介しました。今回の新作展示会ではその話をさせていただきました。バイオフィリックとはバイオ(生命・自然)とフィリア(愛好・趣味)を組み合わせた造語です。

その時に少し話したバイオフィリックデザインのことを少しお話ししたいと思います。バイオフィリックデザインは人間が本来持っている「自然とつながりたい」という欲求を、建築や室内空間に取り入れるデザイン手法で、自然の要素を積極的に活用することで、心身の健康や生産性の向上を目指すことで、アメリカの生物学者であるEdward Osborne Wilson(エドワード・オズボーン・ウィルソン)の理論を基盤としています。その理論とは、人間が他の生命体や自然とのつながりを求める本能的な欲求を持っているという考え方です。1970年代後半からウィルソンは、地球規模の生物多様性保全に関わり研究しました。1984年には「バイオフィリア」を出版し、人が自然環境に惹かれる進化論的、心理学的根拠を探りました。

バイオフィリアという言葉は、精神分析医のエーリッヒ・フロムによって1973年に初めて紹介されました。その後、1984年のウィルソンの著書「バイオフィリア」によって広く知られるようになりました。この作品で「バイオフィリア」という言葉が広まり、現代の保全倫理の形成に影響を与えました。バイオフィリア仮説は、人間は生存と個人の充足のために進化の過程で自然や他の生物とつながることへの遺伝的欲求を持っていることを示唆しています。この考え方は日常生活にも当てはまり、人は国立公園や自然保護区を観光したり、ビーチでリラックスしたり、ハイキングや山に登ったり、自然に触れるために旅行し、お金を使います。アメリカでの住宅購入の観点では、自然の景色を望む住宅により多くのお金を使う傾向があり、購入者は景観の優れた住宅には7%、水辺の景色を望む住宅には58%、ウォーターフロントの住宅には127%より多くのお金を使い、動物との友情を大切にして6,020万人が犬を、4,710万人が猫を飼っています。コロナ禍でその傾向はより高まってきました。

日本でもコロナ禍に自然の中で過ごすキャンプやグランピングが流行し、インテリアに植物を多用するようになったのはバイオフィリア理論からだったのかもしれません。また、インテリアに有機的なデザインの家具が多く取り入れられ、1970年代の丸っこいソファが使用され、今はその時代の復刻製品が多く見られるようになりました。そして、アメリカのインテリアでもキドニーソファのような有機的なソファが多く使われるようになり、当社のキドニーソファも人気を集めています。デザインや物事には全て理由があるんだなと、この年齢になって改めて感じました。2026年モデルの新作コンフォートチェアは1980年代をイメージしました。1970年代の不安な社会から解放されるように、少し明るく感じる未来へ向けてデザインしました。今週は大阪、名古屋でコンセプト説明を行います。お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

左上:アメリカの生物学者のEdward Osborne Wilson(エドワード・オズボーン・ウィルソン) 1929-2021 右上:1984年のウィルソンの著書「バイオフィリア」下:アメリカ不動産サイトから。自然景観やグリーンを取り入れたインテリアはバイオフィリア理論からと紹介されています。ウィルソンが意図したインテリアとは違うとは思いますが、今のアメリカのインテリアを作る上で重要なキーワードになっています。
アメリカのNYや日本の都会のインテリアには緑の景観が無く、インテリアにカーブした家具デザインが使われるのもバイオフィリア理論からです。左:キドニーソファに2026モデルとして追加されるカーブが柔らかなコーナーソファの組み合わせ。右:アーム付きのソファとシェーズロングが追加されます。

2025.10.31 DESIGNER

1980年代はアナログ時代

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.173
1980年代人気はバブル時代のパロディダンスだけかと思っていたのが、ファッション、アートだけでなくTVドラマも作られるようになり、バブル前の1980年年代のカルチャーが熱くなっています。インターネットも普及していない時代、1980年代初頭、大学生だった私にとってはアートだと美術手帖、ファッションやカルチャーならポパイやブルータスなどの雑誌が主な情報の入手源で、その中でもビジュアルやファッション、写真など流行の先端は流行通信でした。今は休刊となった流行通信は1966年「森英恵流行通信」として創刊された日本のファッション雑誌の中でも歴史ある雑誌の一つでした。アートディレクターとして、横尾忠則・浅葉克己・長友啓典・高原宏などの著名人が関わり、カメラマンとしては、篠山紀信、荒木経惟、稲越功一、上田義彦はじめ、各時代のトップが競って参加し、日本の最先端アート・カルチャー・シーンのショーケース的役割を果たし、芸術学部の学生の中でも購読必須の雑誌でした。

そのアートディレクターの一人だった高原宏さんに20年以上前から当社のカタログや撮影のアートディレクターをお願いしていて、今は息子さんの高原真人さんと二人に関わっていただいていています。今年の新作の2026モデルの撮影やカタログ関係も進行中です。以前のコラムでも書きましたが、高原宏さんは学生時代に聞いていた山下達郎のレコードジャケットのアートワークをずっと手がけていて、山下達郎と鈴木英人を見出した方です。そんな方と気がついたら仕事をご一緒させていただいているのは本当に幸運な事で、今回の撮影でも一緒に家具を移動していただいたり、仕事に対する姿勢も本当に見習う事が多く尊敬する大先輩です。私自身が社会人になりエーディコアに参加するようになった40年前の1980年代には、高原宏さんは大御所で学生時代にルームシェアしていた同級生が高原事務所に入所した時に、その彼から嬉しそうに報告があった記憶があります。

新作の撮影時に、11月に開催する40周年に使用するために昔の図面や資料を探した時に広告の版下が出てきて、当社の若いスタッフが驚いていた事を話しました。今は写真や広告データもデジタルで出来上がりを確認する事ができますが、30年近く前までは広告も紙の版下原稿で文字も写植屋(文字を打つ会社)さんに依頼して、それでも文字間など合わないのでデザイナー自ら手貼りで調整し、写真もアタリだけ書いてポジ写真を添付し、文字の色もDICの紙色見本を付けていて大変だったんだと話をしていて、高原さんから雑誌の編集も全ページ版下だったので山のような紙原稿を作る事にかなり時間を労したと話をされました。今ではカラー画像でサンプルを見る事ができ、出来上がりと違う事はありませんでしたが、昔は写真も広告なども切り貼りしたモノクロデータで想像して確認し、完成についてはデザイナーやカメラマンを信用するしかありませんでした。

今、撮影はデジタル化していて、画像修正など簡単にできるので、スタジオの床や壁のホリゾントと言われる白い床の汚れやゴミもを気にしなくても後でフォトショップで消したり、部分的に立体感や影を付ける事や、画像をはめ込んだりする事も可能で、写真自体も撮影せずにデジタルで作る事も可能な時代になってきました。昔はデジタル修正など無かったので、陰影の出し方や立体感を出す照明調整や床のゴミや埃まで気を使い最終チェックして、息を止めるようにシャッターを押していました。それだけ、一つ一つの仕事に真剣になっていた時代でした。インテリアの図面やプレゼンテーション製作も同じで、手書きのパースに切り貼りで作るしかなく、レイアウトプランや写真の張り込みもコラージュアートのようにセンスが必要で、やり直しがきかないので、緊張して製作した記憶があります。

40周年記念展示会に向けて40年前の商店建築用の広告版下を探し出したのはいいのですが、その頃に使っていた接着剤のペーパーセメント(貼り直しが出来るゴム系接着剤)が劣化し、貼っていた文字がバラバラに剥がれ落ちてしまい、ピンセットを使って接着し直しましたが、懐かしくも、よくこんな事やっていたなと感心しました。今はPC上で移動やペーストなど簡単にできますが、昔は文字の行間を調整したり、色を指定するために大日本印刷から出ていたDICの色見本帳のサンプルを添付したり、手間もお金もかかりました。今ではPCソフトがあれば、誰でもグラフィック的な作業はできますが、昔は職人技の世界でした。その職人技を持ちながらデザイン的センスと想像力がなければ出来ない仕事だったんだなと再認識しました。

撮影で今年もご一緒した高原宏氏もアナログとデジタルの両方できる人ですが、アナログ仕事もされていた事で、細かな箇所も手を抜かず気配りができるんだと思います。私自身もアナログからデジタルへの移り変わりを経験しているので、若い方が流してしまう所も気が付いてしまいます。今回の新作も試作から製品撮影まで携わりました。どんなカタログになるか楽しみです。40周年記念イベントは1980年代の仕事の一部を感じていただける展示にする予定です。お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

1986年に発表したAD-861/CERVOの図面。左上:A2サイズの3面図。ドラフター(製図板)を使用して手描きで図面を描いていました。左下:脚部パーツ図。工場への原寸大はもちろんですが、パーツ図も作成していました。右:CERVOの一番大切なxフレームの図面は角度など計算するのに丸1日かかりました。今はCADで書けば角度などすぐに出るのですが、、。
1986年の広告用の版下。広告にキャッチコピーを入れるのはその頃の流行りで、コピーライターが憧れの職業でした。有名コピーライターさんにお願いした文章ですが、今見ると恥ずかしいコピーです。左上:商店建築の広告用の版下で、アタリと言われる写真のレイアウトと文字が貼られます。左下:文字の種類によって文字間が違うので、手貼りで調整していました。右上:写真は4×5サイズのポジでレイアウトに指示して添付します。右下:写植屋(文字を打つ会社)さんで作った文字写真。写真植字で活字を作る作業のことで文字を写真のように撮影し、それを専用紙に出力して活字にします。それだけでは、文字間など合わないので、切って調整が必要でした。

2025.9.29 DESIGNER

インテリアにもレストモッド

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.172
レストモッド(resto-mod)とは、古い車を修復して改良することで、レストレーション(修復)とモディフィケーション(改造)を合わせた造語です。これまではビンテージカーはレストアを行う場合、ビス一本まで限りなくオリジナルな状態に戻す方法が最善で、製造された状態に近いほど価値がありました。イタリアのスポーツカーメーカーのフェラーリが自社で公認するフェラーリクラシケはその世界のトップクラスで、それを取得することを目指すオーナーも数多く存在します。ランボルギーニやポルシェも修復部門を持ち、自社のブランドを高めることにも役立てています。また、オリジナル状態の車の価格が高騰し、本来乗って楽しむことを目的とした自動車から、所有するだけで美術品と同じ投機対象とされる目的が多く、所有して走行距離が伸びて価値が下がることを恐れて乗られていない車が多く存在します。

その流れとは別にレストモッドという手法がありレストアとは違う方向の、改良手段として人気になっています。レストモッドとは、外観はオリジナルに修復し、エンジンや足回りなど最新パーツを流用して、現代の交通事情に合わせ快適に乗るために行われます。以前は走り屋が早くするために違法改造を車に施すことが知られていましたが、現在はレストアと異なる価値を与える手法として世界的に流行しています。例えば、ポルシェのナローと言われる1970年代の911は高騰していますが、50年以上たった車に快適性はなく、運転を楽しむには適していません。その70年代車体を修復し、新しい年代のエンジンや機器を搭載する改造や、新しい車の外観を1970年代風に見せる改造を施したナローポルシェがマニアの間で人気を集めています。レストモッド専門の「シンガー」という会社は、顧客の持ち込んだ車体にレストア&モディファイを施すことで有名になりました。彼らが有名になったのは964と言われる1993年までの空冷の最終モデルに最新パーツを使い、1970年代の形に戻す手法で、内外装は顧客のニーズに合わせることで大成功を収め、アメリカとイギリスに750人のスタッフを抱えるまでになりました。

アメリカでは車の改造だけでなく、建築にも同じような手法があります。有名建築家が設計したミッドセンチュリー時代の建築を美術品と同様、投機目的のもと設計図に戻すレストレーションや、家具もオリジナル時代の物が高額で取引されています。一方、レストモッドに近い手法で、外観はオリジナルに修復し、内部は最新式の機器に変更して、現代的に快適に過ごす改良された建物が多く存在します。ロサンゼルスのダウンタウンにあるアールデコビルなどは、外観はそのままで、快適なコンドミニアムや店舗にして新築物件よりも価値のある取引がされるリノベーションです。ダウンタウンのデパートとオフィスに使われていた1930年のイースタンビルや、1925年のナショナルビスケットカンパニーの工場をコンドミニアムに改修したり、映画館として使われていた廃虚建物がアップル社の旗艦店として改修された建物があります。どちらも骨格を含めて外観や内装の多くはオリジナルに修復されており、人が関わる場所については、エアコンの吹き出し口を工夫したり、トイレやプールなど最新技術を使って改良されています。日本で多く見られる歴史的建造物の一部の外壁だけ古い箇所を残し中は普通の事務所仕様にしてしまう改修とは考え方が違います。

欧米ではヴィンテージカーと同様、プロダクトだけでなく建築にも懐古的なデザインに価値を持つ人が多く存在します。価値を感じる人が多いということはビジネスチャンスがあるということで、欧米ではそれをビジネスにする会社が多く存在しています。日本でも昭和風のプロダクトや1980年代の旧車が若者に人気になっています。アメリカでの日本の旧車人気も影響されているのですが、アメリカでは製造から25年以上経過した右ハンドルの車をそのまま輸入できる法律の例外にあたる特別ルールが存在して、そのルールで日本製の旧車が安価で輸入できるようになり、今ではその時代の旧車にしかないデザインが人気で、価格よりもデザインが人気の理由になっていて、その影響で日本での旧車の価格も高騰しています。日本では以前はお金のない若者が安い中古車や古い物件にしか手が出ないというニーズからでしたが、建築やインテリアでも自動車同様、他にはない無二のデザイン性が価格を決める時代になってくるのではないでしょうか。その際に重要なのは基本骨格と表面のデザインを大切する事です。

日本では古い建物や住宅がどんどんなくなりつつあります。リノベーションだけでなく、建築をレストモッドし付加価値を追加して取引することも考える時代になっているように感じます。当社は1985年からの製品が残り続けています。40年たった製品は今の若者にも共感される物になっているのでしょうか…。他にはない無二のデザインになっていければと思います。今年は40周年記念イベントも企画しています。その前に展示品のセールもありますので、お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

左:シンガーでレストモッドされた1993年の964型911を1970年代の901型911にレストモッドしたモデル。ボディはバンパーなどナローボディ、エンジンは最終型のエンジンを使用し、足回りや内装など最新式のものを選ぶ事が可能です。車持ち込みで50万ドル(8000万)からです。右:瀬戸が40年前から所有している1962年のカルマンギアでエンジンや足回りは載せ替えています。エアコンは数年前に電気式クーラーにしました。外観はオリジナルに近いのですが、ブレーキはドラムからディスクへオイルクーラーも装着してオーバーヒートはしません。中身は現代的になっていて最近の猛暑の気候や道路事情にも合うように改造しています。これもレストモッドと言えるかもしれません。
左:ザ·イースタンビルは1930年にワンタイム百貨店として建てられ、 現在は世界的に有名なアールデコのランドマークとなっています現在はコンドミニアムとして改装され、屋上にはプール庭園が作られ、空調など快適な空間になっています。右:1925年にナショナルビスケットカンパニー(ナビスコ)の工場として建てられ現在はコンドミニアムやオフィスとして改装されています。建物の窓枠は工場の熱に耐えられるように銅製でできていて、現在も使用されていました。どちらも外壁、窓枠はオリジナルの物が使われています。

2025.8.29 DESIGNER

天然と人工のレザーとレザーフリー

AD CORE DEVISE DESIGNER COLUMN Vol.171
先日、久しぶりに接客対応をしました。そのお客様はご家族と最終確認に来られたのですが、前回来社された際に故郷の高知出身のお客様ということで親しくお話しさせていただきました。今回は検討中の製品についてアドバイスを求められました。現在検討中の製品が空間と合うか、小さなお子さんがいるので、使用予定の素材の耐久性などについて、私自身は営業とは違う観点で考えるので、自分ならといろいろお話をさせていただきました。座り心地では、お客様が検討されていた製品とは違う製品を示して、椅子は腰当たりで長く座れるかが決まることや、素材の耐久性の違いや使い方などを提案しました。せっかく決まっていた製品や素材だったのに、営業担当に申し訳ないなと思いながらも…。

使用される予定のファブリックは人工レザーだったのですが、それを見て「何年くらい使われますか?」とお聞きすると、孫が小さいので汚れにくく耐久性があるものが良いと思い、耐久性の高い人工レザーを選ばれたとのことでした。私からは「6年程度なら人工レザーの方が良いかもしれませんが、10年以上使うなら天然革に勝るものはありません。」とお伝えしました。私と同年代だったので「昔はビニールレザーが使用されていた車やバイクのシートは劣化して割れており、最近では使われませんし、最近は耐久性が上がっていますが革には勝てません」とお話ししました。そう話をさせていただき、接客担当に変わりました。後から、営業担当者が製品がグレードアップし素材も革に変わったと喜んでいたので、お客様が提案したものに変えていただけたことがわかりました。

人工レザーの方が天然皮革より耐久性が高く汚れにくいという認識は強く、素材自体が劣化するということはあまり知られていません。人工レザーは素材によりますが、湿度や紫外線で劣化が進みます。これは製品素材が生産された後から始まります。天然皮革や天然素材のファブリックは環境によって劣化や退色することはありますが、素材自体が溶けたり崩壊することはあまりありません。昔の自動車のシートの割れなどは良い例で、私自身もスニーカーのスタンスミスで本体の革が大丈夫なのに、後ろのブランド名の緑のタグがボロボロになったことや、母の遺品整理をしているときに見つけた40年近く前のイタリアからのお土産のブランドバッグが表面の革はまったく何もなっていないのに、中を開けると内装の人工レザーがベトベトに溶けてしまっていた経験など、人工レザーの劣化を経験しています。一方、若い頃に買った天然皮革のジャンパーや革靴は今でも現役で使えています。

最近、レザーフリーやアニマルフリーとして、本革を使わないことを聞くことが多くなってきました。動物の本革を使用しないということで、動物を殺さない動物愛護ということでスタートした運動で、一部のファッションブランドから始められました。その代わり、植物由来のヴィーガンレザーが注目を集めるようになりました。ヴィーガンレザーといっても多くの製品はまったく石油由来の素材を使用していないわけではなく、下地に天然素材を使用し、表面にはポリウレタンやPVCをコーティングして作られています。自動車メーカーでもレザーフリーをPRする会社が海外では増えてきました。アニマルフリー運動は毛皮素材のためだけに飼育されるミンクやフォックスやワニやヘビなどのエキゾチックレザーと混同されていて、車や家具に使用される革は100%食用肉の副産物です。命ある生き物を殺して生活している私たちはその命を100%いただくことで持続可能な生活ができるのではないでしょうか。

天然皮革が耐久性が高い理由は下地の強さにあります。天然皮革はコラーゲン繊維が絡んでいる下地、その上に銀面と言われる強い表皮層が一体化していて、その上にウレタン塗装などの染料を塗布しています。皮のコラーゲン繊維を鞣して革にするために、クロムなめしやタンニンなめしを使用します。そのクロムなめしのクロムが六価クロムと誤解されていますが、クロムなめしに使用されるのは自然界に存在する三価クロムです。限られた予算とある程度の耐久性では、人工レザーの方が優れていますし、メンテナンスさえすれば長く使えるのが天然皮革です。用途によってお使いいただければと思います。私も知らなかったのですが、2024年3月に日本産業規格(JIS K 6541用語)が改訂され、「革」および「レザー」という用語の定義が厳格化されました。この改訂により「革」や「レザー」と呼ぶことができる製品は動物由来のものに限定されることになったそうです。

30年以上前に購入して修理しながら履き続けた革靴も裂けてきたので、役目を終えようとしています。何度も修理をして足になじんだ革靴を諦めきれずに、磨きながら捨てようか悩んでしまいます。今の自動車は電気パーツが多いので、10年以上使うことは考えなくても良いので人工レザーの使用が進んでいるのかな…と思いました。そろそろ2026モデルの新作試作の素材を決めないといけません。今年で40年になったエーディコア・ディバイズです。50年に向けての素材選びも重要です。お楽しみに!(クリエィティブディレクター 瀬戸 昇)

天然皮革と人工レザーの表裏。上から 天然皮革(クロム仕上げ)、PUレザー (ウレタンレザー)、PVCレザー (塩化ビニルレザー)。天然皮革(1.2ミリ厚)は繊維層の上の銀面にポリウレタン塗装を塗布したもの。革は下地と表面の境がなく一体の素材で下地の繊維層が厚い。引き裂きや擦れに強度があり熱にも強い。PUレザー: 柔らかな不織布にポリウレタン樹脂をコーティングしたもの。天然皮革に近い風合いや柔らかさを持っています。湿気や紫外線、熱に弱い。加水分解など起こしやすく表面のベトつきや剥がれが起きやすい。PVCレザー : メリヤスなど織物にポリ塩化ビニル樹脂をコーティングしたもの。耐久性が高く、汚れに強く、価格が安価。湿度や紫外線、熱に弱い。年数が経つと硬くなり割れてくる。
左:購入してから30年以上経つUチップの革靴。スグッドイヤーウェルト製法で作られています。裏は革底でしたが、ゴムのビブラムソールに張り替えのオールソールを2回して、踵は4~5回交換しています。外はまだ元気ですが、中と履き口が裂けてきたので、限界かもしれません。補強すればまだ履けるかな、、。右:革ジャケットでゴート(山羊)のタンニンなめしの革を使ったもので、33年前に横浜元町のトゥモローランドで購入しました。表面は色褪せして袖口は擦れてきましたが、まだまだ現役です。私が死ぬまで使えそうです。